イジメの数と定義
イジメの数と定義
先日(3月前半)の中日新聞の記事です。(上の方が切れてしまってすみません。何度やってもこれ以上どうしてもスキャンできなくて。何とか読めませんか。)
グラフが急激に増加しているのは、かつてイジメは学校にあってはいけないものだったんですね。
しかし、イジメによる自殺が頻繁にあり、定義が明確にされ、被害者が感じればイジメにあたる、というようになったからです。
そして、イジメはどの学校にでもあるし、あっても仕方ないというように解釈が変わってきたからだと思われます。
新しく定義をしたにもかかわらず、学校でのイジメの数は、先生たちの気持ちでカウントされるということがよくわかる記事ですね。
「心理的または物理的な影響を与え、児童らが心理的な苦痛を感じている。」が定義だというわけですが、
先生たちがイジメの意味を狭く考え、カウントしたのが非常に少なくなっている、勝手に狭くしてはいけないのではないか、という先生たちに対する批判的な記事かと思われます。
これを読むとわかるように、イジメの数が多い方がいい学校なのではないか、と思えてきます。つまりイジメをちゃんとカウントしていることになりますから。
「すぐに解消した事案も含めると相当な数になる」
となるのは、なんとなくわかります。
「オマエキモイなあ」と言われて本気で嫌がったら、おそらく定義によるとイジメですね。
しかし、それを先生が注意してとりあえずなくなったら、カウントするべきかどうなのか、確かにそれを文部科学省まで数字として上げて、新聞記事になるというのはどうなんでしょうね。
数を数えることにどれほどの意味があるのか、ちょっと考えてみてもらいたいという気がします。
この言葉がどれほどの意味を持つのか、どんな人間関係なのか、それによっても随分違うように思います。
一方で、「下着を下げられ…」といったことがカウントされていないともあります。
やはり、イジメの内容が問われるように思います。
それを先生たちがしっかりと見極めることの方が大切なんではないでしょうか。
数えることに熱心になったり、数を減らすことに熱心になったり、なんだが違うように感じます。
みなさん、どう思いますか。